2025.08.29
TRAVEL

ホテルがつなぐ、日本遺産への旅
中世に出逢えるまち①
〜千年にわたり護られてきた中世文化遺産の宝庫〜

かつて京と高野山を結ぶ中継地として栄えた、大阪・河内長野。街道や寺院、文化財がいまも静かに息づき、千年の時を超えてなお、まちのあちこちに残されています。
大阪東急REIホテルのスタッフとともに、旅に出かけましょう。
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  • 河内長野市
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日本遺産とは?

  • その地域に受け継がれる歴史や文化を物語として紡ぎ、ストーリーとして多くの人に伝える、文化庁が認定する取り組みです。伝統行事や風景、建築物など、地域に根ざした多様な魅力が、新たな発見や感動を生み出しています(2025月現在・全国105件のストーリーを認定)。

    東急ホテルズ&リゾーツは、文化庁と「日本遺産オフィシャルパートナーシップ」を締結しています。
  • 日本遺産

  • 駅を降りた瞬間、旅人を包む空気がふわりとやわらぐ。緑に囲まれたそのまちには、歴史の気配がそっと漂っている。大阪・難波から南海電車でおよそ30分。

    中世に栄えた地、河内長野―――。

    ここはかつて京と高野山を結ぶ交通の要衝として栄えた。河内(大阪東部)・紀伊(和歌山)・大和(奈良)、三つの国の国境に位置し、平安時代に空海が高野山を開いたのち、参詣道や巡礼道が整備され、仏教文化が花開いた。

    まちには「天野(あまの)」「大沢(おおさわ)」「高野(こうや)」の三つの街道が走り、それぞれに中世から続く社寺、文化財が点在している。道をたどるたびに現れる史跡は、まるで一つひとつが〝時〞を封じ込めた宝物のようだ。

    「いわばまち全体が『歴史の宝箱』のようで、駅を降りた瞬間にタイムスリップする感覚があります。5分も歩けば『高野街道』で、昔からの酒造りを続けている酒蔵へ続く道には杉玉が並んでいます。市域の約7割が森林で、山あいには往時を思わせる里山風景も広がり、どの季節でも美しい景色が楽しめそうです」(藤森)

    さあ、鎌倉や室町の時代に想いを馳せながら三つの街道を歩き、時のなかに眠る宝物をたどっていこう。

中世街道


  • 交差する古道、歴史が息づく道しるべ

  • 天野山金剛寺へ続く「天野街道」
  • 奈良方面へと抜ける「大沢街道」
  • 高野山へ至る「高野街道」
    河内長野は京と高野山を結ぶ街道の中継地点。
    信仰と暮らしを運んだ三つの街道は、いまも静かにまちに溶け込む。

朱の伽藍に女人たちの願い

  • 天野街道は、名刹・天野山金剛寺への参詣道。高野山が女人禁制だった時代、女性たちの祈りを受け入れる場として開かれたのが「女人高野」。金剛寺はその象徴ともいえる存在だ。河内長野の二大寺院のひとつで、奈良時代に行基が創建、弘法大師空海が修行し、のちに高野山から下山した僧・阿観によって再興された。以来、朝廷や武家と深くつながり、源頼朝の庇護も受けるなどして繁栄した。

    「朱色鮮やかな金堂は重要文化財で、安置されているのが、国宝の大日如来・不動明王・降三世(ごうざんぜ)明王の三尊像です。多宝塔も鮮やかな様式で驚きます」(藤森)

    南北朝の動乱期には、後村上(ごむらかみ)天皇ら南朝の行宮(あんぐう)がこの金剛寺に置かれたという記録も残る。さらに子院の観蔵院には、北朝の上皇たちも一時滞在したとされる。まさに“塀を隔てて”、ふたつの朝廷が共にあったという稀有な歴史の舞台でもある。

天野山 金剛寺

  • 朱の金堂に、千年の時が宿る

  • 奈良時代に創建され、空海が修行したと伝わる古刹。
    国宝の三尊像が安置された金堂(重要文化財)が鮮やかだ。
    秋の国宝特別公開は、11月1日〜3日。
  • 北朝御座所に広がる庭園も、季節ごとに趣を変える。

Travel Navigator

  • 大阪東急REIホテル 宿泊部門 藤森浩之

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