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2023.09.01
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本物に出合える日本遺産の旅
800年の歴史を紡ぐ 日本茶のふるさと

約800年間にわたって最高級の茶葉を生産し続ける京都・山城エリア。日本茶の歴史が始まったとされるこの地域には、お茶の産地ならではの風景が広がっています。
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  • Toru Kawagishi
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  • 古くから貴族の別荘地として栄えた京都府南部の山城地域。13世紀には、僧・明恵上人がこの地に暮らす里人に、中国からもたらされた茶の種を「馬の蹄の跡」に沿って間隔をあけて蒔くように教えました。こうして始まった宇治茶生産の歴史。現在、その跡地には「駒蹄影園跡碑 」が立っています。

  • 宇治茶の歴史が始まった山城地域。明恵上人が茶の植え方を指導した場所に駒蹄影園跡碑が立つ。


  • 宇治茶が高い評価を得たのは15世紀のこと。足利将軍家が茶の味を気に入り、宇治に茶園「七名園」を設け、露地栽培による最高級の茶葉をつくらせました。宇治茶の名は「将軍が珍重している茶」として全国に広まり、日本一の茶となったのです。

     16世紀に入ると、千利休をはじめとする茶人の要望を受けて、それまでになかった斬新な方法で茶葉をつくるようになります。葦で編んだ簀を茶畑に覆いかけることで、渋みを抑える覆下栽培。できあがった茶葉は色鮮やかで、旨みが強い。これが「抹茶」の誕生の瞬間です。抹茶は茶の湯で使用され、織田信長、豊臣秀吉、徳川将軍家の庇護を受けました。現在も宇治市・白川では天然の葦を使った本簀栽培が行われています。

    その後も宇治茶は進化と発展を続けていきます。18世紀には茶葉の生産に従事する永谷宗円なる人物が、新芽の茶葉を蒸し、焙炉の上で手揉み乾燥させる製法「宇治製法(青製煎茶製法)」を編みだしました。この製法でつくられた茶は「煎茶」と呼ばれ、現在まで広く飲み継がれています。
  • 宇治田原町湯屋谷に生まれ、青製煎茶製法を考案し“日本緑茶の祖”と呼ばれる永谷宗円。復元された生家の内部には製茶道具や当時の焙炉跡が保存され、土・日曜、祝日には一般公開している。©宇治田原町


  • 煎茶の登場によって、茶葉のニーズは急激に高まりました。そして、需要拡大に応えるため、和束町の山間部では農家の裏山の傾斜地を開墾し、自然の起伏を生かしたまま茶畑をつくるようになりました。なだらかな小高い山の斜面を、茶畑が埋め尽くすように和束町に広がる“山なり茶園”のリズミカルな景観は、SNS映えスポットとしても人気を集めています。


  • 和束町の山なり茶園のなかで、最も有名な「石寺の茶畑」。京都府の景観資産第1号にも指定されている。小高い山を見上げるだけでは想像がつかないほど、急傾斜の山の上にも茶畑が広がる。©和束町


  • 情熱的で革新性の高い山城地域の茶葉づくり。その姿勢によって宇治茶の品質は高まり、やがて最高級緑茶の「玉露」が誕生しました。品のいい甘みと豊かなコクがあり、今では日本を代表する茶として知られ、海外でも多くの玉露ファンを獲得しています。

    茶の生産量が増えるに従い、茶葉を集積する茶問屋街も形成されました。木津川の水運の要である上狛には、往時の問屋街の雰囲気を伝える街並みが今も残ります。800年にも及ぶ日本茶の歴史を感じながら、心懐かしくなるノスタルジックな街歩きを楽しんでみたいものです。


  • 生産された茶葉は木津川の水運を利用して上狛の茶問屋に運ばれ、その面影が今も残る。©(一社)木津川市観光協会




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