- 落ち葉の香りが漂う。
- ひんやりとした朝の空気。
- 私はいま、旅先のホテルのカフェテラスにいる。傍らに置いたコーヒーの温かい湯気を眺めながら、ペンを手にしたまま、ぼんやりと景色を眺めている。
- チェックアウトまでの、ぽっかりと空いた小一時間。時計の針を気にしなくていい贅沢な余白のなかで、ふと、「そうだ、手紙を書こう」と思いたち、バッグから便箋を取り出した。
- いまや言葉のやり取りはメールやSNSになって、しゃべり言葉を気軽に投げ合うことが当たり前。目の前に広がる秋の気配もパチリと撮ればすぐに遠くの相手に手渡せる。その軽さは日常のなかではずいぶんと便利で重宝するけれど、ちょっと味気ない。
- たまにはきちんと選んだ言葉をひと文字ずつ記したい。私にそんなふうに思わせてくれるのは、この旅の空か、秋という季節か、それともこの空白の時間だろうか?
- ところが、いざ便箋を前にペンを握ると、頭のなかがすうっと真っ白になってしまった。美味しいコーヒー、目の前の素敵な景色。これ以上ないひとときだというのに、一字目が出てこない。白い便箋だけが静かにこちらを見ている。私は何を書きたいのだろう。誰に、何を伝えたいのだろう。
- いっそスマホで下書きでもしてみようか?手書きがいいよね、と思っていても、いつの間にか言葉を紡ぐことよりも、ポチポチと文字を打つことのほうが当たり前になっている自分に気づき、あわててスマホから手を離す。あぶないあぶない。
- それなら、いまこのときを描いてみよう。
- 便箋にだってかまわない。
- ペンを持ったまま動かなかった手が目の前のコーヒーカップを描き出した。楽しくなってきてその向こうの景色も少し添えてみる。思いつくままにペンを走らせているから、線は曲がるし構図もだんだんおかしくなってくるけれど、なんだかとてもいい感じ。
- できあがったのは、不器用でへなちょこな線。でもそこには、いまここで私が感じている小さな秋の気配や、持て余している静かな時間が写し取られている。ここにいる私にしか描けないこの歪んだ線たちこそが、旅のいちばん贅沢な切り取り方なのだ。
- この絵を、拙い文章で飾る必要なんて、きっとない。ほんの短い言葉ときれいな落葉を一枚添えて、この澄んだ空気をあの人に届けてみようか。
絵と文:谷山彩子(たにやま・あやこ)

- イラストレーター。セツ・モードセミナー卒業後、ギャラリー勤務などを経て、フリーのイラストレーターに。雑誌や書籍の挿画、絵本などを手がける。
>シリーズ イラストエッセイ「旅じたくの魔法」

