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2020.09.04
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SPECIAL INTERVIEW "KENGO KUMA"
隈研吾が語る
東京という世界都市の未来

新しい生活様式に取り組むことが求められる現在、私たちの生活は
一変せざるをえない状況ですが、図らずもそんな生活様式に
則した建築づくりを行ってきたのが建築家・隈研吾、その人。
コンクリートと鉄の時代から木の時代へと舵を切りつつある
21世紀初頭、時代の最先端で建築家はどんな未来を見つめるのでしょうか?
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  • Takuji Ishikawa
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  • Tsukuru Asada(MILD) 
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  • 青山にある設計事務所の眺めのいい一室でインタビューは行われた。今、世の中は混沌としているが、建築家は心踊る都市の未来を見据えていた。

  • 取材は隈研吾建築都市設計事務所で行われた。

ある種人間の原点に戻ったということ。
人類史的な切り替えの時期なのではないか

  • 設計事務所を始めた80年代、バブルの頃は、自分が木をテーマにするなんて夢にも考えていなかったんです。自分が生まれ育ったのは古い木造の家で、あの「ボロさ」が格好いいと思っていましたが、まさかそれが自分のテーマになるとか、ボロさを現代化するなんてことができるとはまったく思っていませんでした。
  • 新しく作るものの中にこのボロさを組み込んでいく、というのが僕のやろうとしていることなんだと思います。「ボロさ」というのは、時間が経ったものの味だとか、あるいは人間的な可愛いスケールだとか、昭和の家のもっている味わいみたいなものを指して言っています。
  • そういうものを現代の建築でも作れるなんて、僕も含めて誰一人考えていなかったと思います。バブルの崩壊後、東京で仕事のない空白の10年間があったんですが、その時期があったからこそ、僕は「ボロさはもしかしたら作れるかもしれないし、もう一回作らなきゃいけないんじゃないか」と考えるようになりました。
  • 僕が初めて木を大々的に使ったのは高知県・梼原町(ゆすはらちょう)の建物。あれで僕は「木ってこんなに面白かったんだ」と気づきました。記憶に残る大事件でした。1992年頃なんですが、そこから木を本当に使いこなせるようになるまでに、だいたい20年はかかっています。耐久性の問題ひとつ考えても、現代建築の材料としては、木が難易度の高い素材であることは間違いありません。
  • にもかかわらず都市の中に、あるいは現代生活の中に、素材としての木がますます増えています。大規模な公共施設は、かつてはコンクリートと鉄で作られるのが普通でした。ところが今では、そういうものに木材を使ったとしても、昔のようには驚かれなくなったんです。僕が関わった建築だけでなく、他にいくらでも例は挙げられます。この傾向はこれからもしばらくは続いていくでしょう。
  • たとえば建築雑誌をめくると、木の色のページが増えています。最初にそれを指摘したのは外国の友人でしたが、20世紀の日本の建築雑誌は、めくってもめくってもコンクリートと鉄の建物ばかりで、カラーなのに、モノクロ雑誌みたいだった。でも最近は、ぱっと開くと木の色が目に入るというわけです。建築雑誌だけではなくてデザインの雑誌でも、木のプロダクトがとても多くなりました。
  • 人類史的な切り替えの時期なのではないか、と僕は思っています。今までコンクリートと鉄でずっとやってきたわけだから。ある種人間の原点に戻ったということ。
  • その原点というのは、ものすごくさかのぼって、森の中から人類が生まれた原点に戻ったともいえるくらいの遠い昔の原点なんだと思っています。それぞれの地域の材料を使うというのは、19世紀までは世界中どこでもそうでした。人は手近にある石や土や木で、自分たちの住む家を作った。それよりももっともっとさかのぼっていくと、人間は森の中から生まれて来たというところに行き着きます。
  • 太古の昔、木というものは自分の一番近くにいる仲間であり、自分を守ってくれる存在でした。今はそういう根源的な記憶に戻っているような感じがします。木という素材の質感とか手触りに安心や居心地の良さを感じるのは、その遠い記憶から来ているのではないでしょうか。
  • そういう流れが日本から起きているというのが、面白いと言えば面白い。コンクリートにしても、安藤忠雄さんの打ちっ放しによって、日本が極めたみたいなところがあります。コルビュジエもコンクリートは使いましたが、質感をつきつめるところまでは行ってない。それをやったのが安藤さんでした。
  • 日本人って、素材から発想するみたいなところがありますよね。すごい造形にすることよりも、素材の良さを極めるというような。
  • たとえば豆腐の味を徹底的に極めるというようなことに日本人はこだわる。そういう言葉では言い表せないところまでつきつめる傾向が日本人にはあります。
  • そして、それがとても上手ですよね。そのことにはもっと自信を持っていいと思うんです。

  • 三國清三シェフと手がけた、伊豆の大自然と一体化したレストラン「ミクニ伊豆高原」。
  • 相模湾を望むテラス席。
  • 2020年7月に長野県白馬村にグランドオープンした「Snow Peak LAND STATION HAKUBA」。デザインは自然に還っていく時代を表し、屋根の形は白馬三山のシルエットがヒント。

東京の景観は変わっていくと思います。
まず住みやすくなる、歩きやすくなる

  • 僕は地面に近いところに木を使いたくなるから、『ザ・キャピトルホテル 東急』でいうと、上階部分は石だけど、足元のロビー周りには木を配置しました。歩いてるところの脇に木があることが大切なんです。
  • ビルの谷間のような場所でも、そこに木の質感があったり緑が植えられているだけで、気持ち良く歩けるようになる。建物でも、そこに木が一本あるだけで空間全体のイメージがまるっきり変わるということを今までに何度も経験しました。このマジカルな、魔力的な力はいったい何なんだろうと。
  • 木の建築が日本から世界に広がっているのは、ある種の必然なのかもしれません。その結果、東京の景観も変わりつつある。これからは変わっていくと思いますよ。まず住みやすくなる。歩きやすくなるというか。歩くことの重要性が、これからはもっと問われるようになっていくでしょう。歩いているとリズムがとれるし、体調が整えられる気がします。歩いていれば人との距離もとれます。都市を歩いて身体を健康にする。そういう視点で都市作りをすると、歩いた時の質感を大切にするようになります。

  • 寺社建築に見られる屋根を支える木組み構造「斗栱(ときょう)」をモチーフとした天井が印象的な「ザ・キャピトルホテル 東急」のエントランス。
  • 庭や玄関を掃き清め打ち水をする、日本のお出迎えの姿を池の水で表現。

  • 江戸の街は歩くことをベースに作られたから、高密度だけれどヒューマンな街ができていたわけです。クルマの文明になって、その江戸の良さが失われてしまいました。
  • 僕は海外ではだいたい歩いているんです。パリにいると、打ち合わせ場所まで1時間かけて歩いて行くというようなことをよくします。泊まってるホテルから事務所までは必ず歩いて行くし、レストランに行くのも基本的には歩きです。歩くと街に対する理解が深まるからです。
  • 東京にいると、あまり歩かないですよね。地面の環境がパリほど快適ではないし。けれど、今、こんな時代になってしまったからこそ、歩くことが見直されていくでしょう。歩くことが中心の世界になると、東京の街もいろんなことが変わると思います。日本人は、質感をつきつめるのは得意ですから。歩くことを基本にする都市、そういうものが生まれるかもしれません。

KENGO KUMA

  • 1954年生。東京大学建築学科大学院修了。’90年隈研吾建築都市設計事務所設立。東京大学特別教授・名誉教授。
    丹下健三の代々木屋内競技場に衝撃を受け建築家を志す。東京、パリ、北京、上海に事務所を持ち、20ヵ国以上で建築を設計。国内外で数々の賞を受賞する。コンクリートや鉄に代わる素材を通して、工業化社会の後の建築を追求。環境や文化と親和性のある人間的スケールの建築を提案する。

【SPECIAL INTERVIEW】

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