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2021.11.05
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SPECIAL INTERVIEW "NOBUKO NAKANO"
脳科学で解き明かす 旅に出ることの効用

自由な旅が遠い昔に感じる、奇妙な時代に我々は生きています。
人が生きるうえで、旅は本当に不要なものなのでしょうか。
認知神経学研究者として、社会評論家として活躍する中野信子さんに、脳と旅の関係を伺いました。渋谷のセルリアンタワー東急ホテルの地下2階、目の前にはまるで幻のように能楽堂の檜舞台が現れました─。
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  • Takuji Ishikawa
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  • Yoshihisa Marutani
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  • 生きるために、旅は絶対に必要な行為ではありません。近頃の言葉を使うなら不要不急、この1年半あまりは、まったく旅をしなかったという方も少なくないでしょう。

  • けれど、それなら人類にとって旅は不要かといえば、必ずしもそうではない。人類全体としては、むしろ不可欠だったとさえいえる。ヒトという種の繁栄は、旅という行動抜きには説明できないのです。

  • アフリカで誕生した人類の直接の祖先は、7万年前から5万年前にアフリカから全世界に広がったと考えられています。現在もアフリカには類人猿の生存に良好な環境があるわけですが、慣れ親しんだ環境を離れ、砂漠を越え、海を渡り、南極大陸を除くすべての大陸と、その他何万という洋上の島々に進出していったのです。なぜそんなことをしたのか。


神経伝達物質ドーパミンと「旅する心」の関係

  • 脳科学的には、それはドーパミンの働きによるものという考え方があります。ドーパミンは喜びや、快感、意欲などのポジティブな感情と深い関係のある脳内伝達物質で、例えば大好きな何かがもうすぐ手に入るという時に分泌されます。そこで感じる興奮や強い喜びを脳内で引き起こすドーパミンの要求量が、人類は他の類人猿に比べても特異的に高いのです。

  • 類人猿はまず、心配性になるように進化しました。危険を予測してリスクを可能な限り低く抑え、生存確率を高める戦略です。この戦略では未知のものは避ける傾向が強くなります。食べたことのない果実には、毒が含まれている可能性がある。行ったことのない土地には、危険が潜んでいる可能性がある。未知なるものに手を出さなければ、その危険は避けられるからです。

  • 自然環境にはたくさんの危険が潜んでいますから、この戦略は成功しました。類人猿はより心配性になるように進化し、保守的な暮らしを続けてきたのですが、過去のどこかの時点で、逆の性質を持つ個体が突然変異的に現れたと考えられています。ドーパミンの刺激を強く求める個体の出現です。この性質は新奇探索性と呼ばれています。

  • 未知の環境には危険が潜むかもしれないけれど、チャンスを摑む可能性も高いわけです。獲物が豊富にいるかもしれない。今よりもっと暮らしやすい環境かもしれない。危険を心配するより、そのチャンスに賭けることに喜びを感じるという、新奇探索傾向の強い個体が人類の中に出現し、増えていきました。おそらくそういう個体の利得がより大きかったのでしょう。面白いことに、新奇探索性のある男性の方が女性にモテやすいこともわかっています。人類は危険を顧みず、未知の土地に乗り出すようになり、他の類人猿を後に残して新世界へと広がっていった。人は旅するサルといってもいいのかもしれません。

  • 私たちのドーパミンの要求量が他の生物に比べ特異的に高いのは、その結果です。ドーパミンのもたらす喜びは、未知に対する憧れや興味の源泉です。だからこそ人は旅を好むのだと思います。私たちは何万年も旅を続けた祖先の遺伝子を受け継いでいるわけですから。

  • 初めて訪れた外国の見知らぬ土地が新鮮なのは、未知に潜む危険を察知するために私たちの神経が鋭敏になるからです。いつもは歩くのを億劫がる人も、外国の街では物珍しさに誘われ、長い距離を歩いてしまったりします。それもドーパミンのなせる業。私たちは普段経験しない喜びや意欲が湧くのを感じます。単に見聞を広げるというだけでなく、旅に出ると私たちの脳は活性化するわけです。脳科学的にいえば、それが旅の大きな効用のひとつです。

身近な土地への旅が人の感受性を変える

  • 脳への刺激という意味では、この1年半はマイナスでした。旅どころか仕事もリモートで、家に引き籠もった人も少なくないでしょう。リモートワークは確かに便利です。けれど脳にとってはそうではない。例えばリモートでは、仕事に必要な情報のやり取りは可能でも、それ以外の情報は遮断されます。本来は五感のすべてから入力する情報の、その一部しかオンラインでは伝わらない。刺激が少なければ脳の活動はさほど上がりません。脳に活力をもたらすセロトニンの放出も減り、やる気が削がれ、明日に向かう気力が奪われる。うつ状態になることもあります。

  • それは感染防止対策上、仕方のないことだったかもしれません。けれど、外国や遠い未知の土地に出かけるだけが旅ではありません。

  • 萩原朔太郎の作品に「猫町」というとても短い小説があります。主人公が、家の近所で幻想的な美しい街に迷い込む話です。それは実はよく見知った通りだったのですが、方向感覚を失った主人公が普段とは違う方角から通りに入ったために見た幻想でした。この経験ほど鮮烈ではなくても、私たちも似た錯覚を起こすことがある。道に迷ったときの不安で心細いけれど、周囲の何もかもが鮮烈に見えるというような。これはまさに旅をしているときの感覚です。

  • 脳にはハビチュエーションという仕組みがあります。同じ刺激を受け続けると、神経が興奮しなくなる現象です。イスラエルへ砂漠を見に旅行したとき、地元のガイドが「こんな乾いて不毛な土地に、遠くからわざわざ砂を見にくるのがすごく不思議だ」と言っていました。世界中から観光客がやってくる場所が、そのガイドさんにはありふれた、つまらない景色でしかない。これもある種のハビチュエーションです。

  • 私たちにも同じことが起きています。フランスの友人に日本が大好きな人がいます。ポストを得て何年間か日本で暮らし、先日帰国したのですが、そのときの名残惜しそうな姿を見て、私は自分が彼のようには日本を見ていなかったことに気づきました。この人は言ってみれば猫町に迷い込んだ主人公のように、東京の街を見ていたのだと思います。それは幻想でしょうか。そうは言い切れません。むしろ私の方こそ、ハビチュエーションというメカニズムで、たくさんの美しいものを見落としている可能性があります。道端に生えている草花の美しさにはっと胸を打たれるのは、たいてい旅先なのです。

  • 私は今日初めて、東京のホテルにこんな素敵な能舞台があることを知りました。普通に東京で過ごしていたら、きっと気づかなかった。自分がよく知っていると思い込んでいた街も、少し視点や行動を変えるだけで、新しい発見は無数にある。また、そういう発見をする装置の機能がホテルにはあります。朝、目覚める場所を変えるだけで、日常は違って見える。例えば自分の暮らす街でホテルに泊まり、そこを出発点として旅するように見なれた街を歩けば、たくさんの新しいものを発見できるかもしれない。ホテルは日常を新鮮な目で見るスイッチにもなるのです。遠くに出かけなくても旅はできる。こういう時代には発想の転換も大切です。

  • 今までの私たちは、世界のどこかにユートピアがあるという感覚で旅をしてきたのかもしれません。コロナ以降の旅は、私たちの認知をどれだけ変えていけるかといったものに変わると思います。世界のどこに行っても感染症がなくなるわけではないし、そこは楽園でもない。どんな国にだって苦しんでいる人がいる。政治的な難しさがあり、戦争の種もある。完璧な土地などないことを誰もが知ってしまった。これからは世界の新しい見方を獲得することが、旅の目的になるでしょう。それは新しい自分を発見することでもあるわけで、その旅に終わりはないのです。

単に見聞を広げるというだけでなく、旅に出ると私たちの脳は活性化します。

  • 2021年3月に新規オープンした料亭「セルリアンタワー数寄屋」。セルリアンタワー東急ホテルの地下2階に位置し、広間に茶室を備えた、伝統的な建築様式の数寄屋造り。隣接する能楽堂を借景として望める特別な空間で、四季折々の旬を職人の技で味わう会席料理を楽しめる。昼夜各1日1組限定の完全予約制。2名より予約受付可能。1名¥32,000~(サービス料込み) ※能楽堂公演中は能舞台を見ることはできません。

  • 料亭「セルリアンタワー数寄屋」の広い玄関には、日本画家・東山魁かい夷い の絵画が飾られ、着物を着たスタッフが出迎えてくれる。渋谷の中心地で、日本文化と食を極上のもてなしで味わえる。

  • 茶室へ続く路地にアート作品のようにモダンな蹲(つくばい)が。

  • 脳科学者の中野信子さんと時代も国も超えた体験を描く漫画家・随筆家のヤマザキマリさんが、日本人の脳の特徴を鋭く分析。生きにくさが増すこの時代、心豊かに生きる方法を探究する1冊。『生贄探し 暴走する脳』(講談社+α新書)¥968



  • イヤリング(アビステ/TEL:03-3401-7124)
    styling=Keiko Sekiya hair & make-up=Shinichi Omoshita(FACCIA)

Nobuko Nakano

  • 脳科学者。1975年東京都生まれ。東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。フランス国立研究所にて博士研究員として勤務後、帰国。現在は、東日本国際大学特任教授、京都芸術大学客員教授。脳や心理学をテーマに、研究や執筆を精力的に行う。近著に自身初となる児童書『中野信子のこども脳科学』(フレーベル館)、ヤマザキマリ氏との共著『生贄探し 暴走する脳』(講談社+α新書)など。



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